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父の介護をしながら副業で英会話教室!後悔しないためのキャリアチェンジ

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父の介護をしながら副業で英会話教室!後悔しないためのキャリアチェンジ
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「マイペースで周りのことなんて考えちゃーいない」これが両親の私という人間に対しての評価でした。

皆さんは、積極的に親孝行してらっしゃいますか?

私は、恥ずかしながらアラサーを迎えるまで、親孝行らしい親孝行なんてしたことはなく、「親のために何か」なんて思ったことはこれっぽっちもありませんでした。今考えると、あの頃は人生をかなり楽観視していました。

でもある日突然、そんな自己中心的な私が考えを改めるきっかけが訪れました。

これから語る体験談は、介護、看病をしながら、仕事との両立に悪戦苦闘しているあなたに、少しでも共感していただける何かを伝えられたらという思いで執筆させていただきます。

父のガンが発覚。両親のために何ができるのか

私が「両親のために何かしてあげたい。してあげられることがあるんじゃないか。」と考えたのは、父の体からがん細胞が見つかり、長期に渡って闘病生活を余儀なくされたことがきっかけでした。

当時の私は銀行に勤めていたので、早朝から深夜まで、とにかく長時間の勤務を強いられ、そんな生活が当たり前になっていました。

そんなある日、父が体調を崩して入院。手術を受けることになりました。術後に担当医から呼ばれた私達家族は、父のガン宣告と余命宣告を同時に受け、目の前が真っ暗になりました。

母はすぐに家業をたたんで父の闘病をサポートすることに専念すると決め、その時の母の潔さにはその場にいた皆が驚かされたものです。

私には姉が1人いるのですが、当時の姉は、本人が口にしなくても仕事、家事、育児に追われる日々が続き疲労がピークに達していることが伺えたので、母も私も、「姉は姉で手一杯」ということを十分に理解していました。

私はというと、毎日仕事に追われてはいるものの、まだ独り身で彼氏もいないという自由の利く身。心のどこかで「私が銀行を辞めるのもありかな」と、ふと考えるようになりました。

退職後どうやって生きていく?選んだキャリアチェンジ

父の余命は1年と宣告されていたのですが、幸いなことに数回に渡る手術と抗がん剤などの治療が功を奏して、入院生活が1年に及んだ頃に、担当医から「ご本人の強い希望もあるようだし、ご家庭での闘病に切り替えましょう」と言われ、母は目に涙を浮かべて喜んでいたのを、今でもはっきり覚えています。

自宅療養をするようになって、母は毎日の病院通いからは解放されたものの、常日頃の介護も、通院する際の付き添いも、予想以上に大変なものでした。

そんな母を横目でみながら、私は来る日も来る日も、「銀行を辞めて、その後どうやって生きていく?」と、自分自身に問いかけるうちに、漠然とキャリアチェンジを考えるようになり、最終的に辿り着いた答えは、「英会話教室でもやってみようかな」。

私は学生の2年間を海外で過ごしたので、英語にはちょっと自信がありました。

銀行を退職しても、同じ銀行で残業が全くないパート勤めをさせてもらうというオプションもありましたが、私は自宅で英会話教室をやるのが自分にとってはベストな選択だという結論に至りました。

その理由は、

  • 授業は夕方から夜にかけてなので、日中、通院の付き添いなどができる
  • 父が寝ている時間を見計らって授業の準備ができる
  • 銀行のパート勤務より断然時給が高い
  • 学んだ英語を職業として生かすことができる

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自宅療養をきっかけに退職を決意

自宅療養に切り替わって間もない頃には、父の通院先は自宅から車で10分程の病院だったのですが、父が「どんどん痩せ細っていく自分、そして抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け落ちてしまった自分の姿を、友人や知人に見られたくない」と言い出し、ここでも母は即座に「それなら病院を変えてもらいましょう」と提案します。

すぐに医師と相談して、家から車で片道1時間ほどの病院で今後は受診するということで調整してもらいました。

母は運転免許を保有していなかったということもあり、この母の決断が、私が退職するという決断を大きく後押ししたことは間違いありません。

英会話教室の収入は1ヵ月5万円

退職届を提出してから退職までの一ヶ月間、簡単なポスターやチラシを作って近所に配布したり、銀行の業務を通じて知り合ったお客様に、退職のご挨拶と同時に「今後は家で英会話教室をやるんです」と図々しく宣伝したりもして、とりあえず英会話教室を始めることをできるだけ多くの人に伝えるよう心がけました。

そんなこんなで、幸いなことに1ヶ月で10人ほどの生徒さんを集めることができたのですが、月謝は1人5千円だったので、「一月5万円か~」と思わず呟きました。

幸い自宅を教室として利用していたので、家賃のほか、電気代なども母に甘えさせてもらい、英会話教室からの収入は、保険料やガソリン代、自分のお小遣いとして大切に使っていましたが、「一月5万円か~」と何度呟いたことか。

副業は介護と両立しながらでもできる

教室を始めて半年程すると、友達と一緒に受講したいという方々が何組か来られて、教室運営が幾分か楽になりました。

マンツーマンで教えるより、グループでレッスンをした方が効率的。

その理由は、

  • レッスン中、役割分担をして対話を練習することができる
  • 人数が増えればその分時給が高くなる
  • 準備の時間が短縮できる(準備時間X受講者数ではなくなる)

日中は、父の体調が良い日には、一緒にドライブに出かけたり、買物に行ったり、父が昼寝をしている間にレッスンの準備、洗濯物の片付けなどをして、午後4時位からレッスンがスタートするという日々。

遅くても午後9時半にはレッスンは終了するというスケジュールを組んで、レッスン終了後に友達と遊びに出かけたりする時間も作りました。

週末には姉も来てくれて、母も私もそれぞれに自分の時間を持つようにし、看護する私達が精神的に参ってしまわないよう、リフレッシュタイムを設けるように心がけていました。

病院までの道のりも副業時間として有効に活用

父が自宅療養を始めて3年が経とうとしていた頃、父の体調は悪化の一途をたどり、毎日が痛みとの戦い。母も私も自宅での看護に限界を感じ、入院して治療を続けるという選択をしました。

病院には私と母が隔日で付き添いに行くようにしていたのですが、私は移動の手段として電車を利用することに。

それは電車で揺られている間に、レッスンの準備ができると考えたからです。空いている時間帯なら座って準備をすることができ、時間を有効に使うことができます。

また、駅から父の入院する病院までは歩いて30分の道のり、最寄り駅から私の家までも徒歩30分。「合計で一日に2時間エクササイズの時間が確保できる。」とポジティブに考えました。

この新しいルーチンが波に乗ってきた頃に、父は私達の元を去りました。

父が最後に「ふー」っと大きく息をした時、窓には雪がちらほら。

「冬将軍が自分の到来と引き換えに父を連れて行ってしまったのかも」と思った事を今でも鮮明に覚えています。

新しいステップを踏み出す勇気を

父が他界して10年以上の月日が経ちましたが、今でも時々、「あの時銀行を辞めていなかったら、私の人生は今とはどう違っているんだろう」とふと考えることがあります。

でも、あの時銀行を辞めるという決断をしたことを後悔したことは一度もありません。父とあれだけ密な時間を過ごせたことは、私にとって一生心に残る思い出になりました。

あのまま銀行に勤めて、朝から晩まで仕事に明け暮れていたら、両親がどういう人なのかもわからないまま、別れを告げることになっていたかもしれません。

こんな風に思えるのも、家で英会話を教えるという仕事に恵まれたから。あの時迷わずに新しいステップを踏み出したこと、そして幸いそんな私のところに足を運んでくださる生徒さんたちがいたからこそ、微力ながら父を、そして母を支えることができたのだと感じています。

どんなことだって新しいことを始める時には勇気のいることですよね。

もし貴方が今、私のような境遇に置かれているようなら、何が自分にとっていちばん大切なことかよく考え、そして介護に専念するために副業という道があるのか模索してみてください。

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